加茂川沿いから北に進路を変えるあたりにあった、七谷駅。 駅舎が現存し、地区の集会所として利用されています。 現役時代の写真を見ると、右手の現在プレハブ倉庫のある軒下は、自転車置き場として使われていたようです。
裏手にはプラットホームも残っています。 現地では2面2線かと思ったのですが、帰宅してから調べると、手前は1面2線の島式ホーム、奥に見えるのは貨物側線用のホームで、どちらも上屋までありました。 この階段から左手に構内踏切を渡って駅舎となります。
島式ホームの中ほどには、切断された架線柱と土台が残っていました。 現役当時の写真を見ると、1本の柱で両側の架線を吊っていたようです。 傍らには古レールも転がっていました。 1mほどの短いもので、どこかの柵や支柱にでも使われていたのでしょうか。
五泉方を望む。(左) 加茂方を望む。(右) 当時の写真と見比べれば分かるのですが、草が茂ったり長い年月の間に樹木が成長していたりして、特に加茂方は、現地では線形を想像することができませんでした。
七谷駅の先には、「冬鳥越」という美しい名前の駅の跡があります。 かつては蒲原鉄道が経営していたというスキー場(現在は加茂市営)のゲレンデに隣接した駅跡地には、3両の車両が保存されていました。 ただ、保存車両の位置は、現役時代の線路跡ではなさそうです。
電気機関車 ED1(左)は昭和5年製、半鋼製電車 モハ61号(右)は昭和15年製で33年に譲り受けた車両です。 大切にされていますが、雪国での屋外保存は大変そうです・・・。
新潟県内最古という木造電車 モハ1号は大正12年製で、立派な木造上屋の下で保存されています。 他の2両とともに、運転室を含めた車内も見学可能です。
まず、写真右手からの国道を走行中にこの石積みの橋台跡が視界に入り、ちょうど広い路肩があったのでクルマを停めました。 左手の道路(旧国道?)を越えるための跨道橋だと思います。
そして道路を跨いだ先にも築堤が続いており、草むらの中に何やら構造物が見えました。 奥に回ってみると、プラットホームが♪ 後から確認してみると、土倉駅の跡でした。
ホームの脇にあった構造物(左)は、現役時代の写真を見ると待合室の基礎のようです。 五泉方にはさらに築堤跡が続いているようでしたが(右)、ここで探索は終了しました。
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