思い出がたくさん押された「北海道ワイド」と「九州ワイド」
キハ181 特急 まつかぜ
私の世代では、特急型DCと言えば80系よりコレ。 私のDC特急好きの原点です。 このキハ181も、がんばっていましたが、既に過去帳入りしてしまいました。
DD51+12系客車 普通列車
直前まで旧客天国だった福知山線ですが、この頃は12系に。 それでも、赤い機関車とブルーの客車は本当にカッコ良かったです。
キハ58 急行 だいせん
あの頃は幹線からローカル線までどこにでもいたんですがね、国鉄色のキハ58。 こいつはキロを含む、急行列車の風格を持った編成です。
キハ47 普通列車
確か大阪-篠山口間の区間列車にはキハ40系が使用されていました。 当日は沿線の撮影ポイントはどこもカメラだらけ。
この風景の中を行くキハ181も今日で見納め。 旧型客車が最後の活躍をしているうちに、足を運んでおくんでした。
DD51+旧型客車旧線さよなら列車
最終日には、ヘッドマーク付きのDD51+旧客4両のさよなら列車が。 目障りな架線柱もなく腕木式信号機も残る、真夏の渓谷の風景の中を行く旧客編成は美しいものでした。
最後の夜
特別なセレモニーがあるわけでもなく、ただ静かにその時を迎えようとしていました。
ついに最終列車
いよいよ最後の下り列車を迎える時が近づきました。 上りの始発大阪行きの列車は、もうこの駅にはやってきません。
下り最終列車 到着
遠くカーブの先から2本のレールが輝き、エンジン音を響かせてキハ47が進入してきました。
そして出発
あまりにもあっけない最後でした。 駅員さんと我々数人のファンに見送られ、キハ47は通いなれた道を去っていきました。
夜中の引越し
現場の皆さんは、我々のように感傷にひたってる暇はありません。 台車に備品を載せて、少し離れた新駅に引越し。
新駅の一番列車
旧線とは高架で直角に交差する新駅。 一番列車だけあって、ホームにも列車の運転席にも保線の人らしき姿が。
新線経由最初の夜行だいせん
当時、夜行のだいせん5・6号は20系客車の編成でした。 A寝台車から改造した座席車ナハ21を連結しており、小5のとき山陰への初の一人旅で乗った思い出深い列車でもあります。
時にはDD51重連も
おそらく次位は無動力回送だと思いますが、こんな列車も見かけました。 12系の白線なし車は、アコモ改造車でしたっけ? 直後の11/1のダイヤ改正時に開業した、西宮名塩駅にて。
展示されていたのは、写真左からC62-2・EF58-66・EF58-150と、EF65-1000・EF65一般型・EF66の各トップナンバーでした。 「栄光のつばめ号」というラインナップではないのですが。 それでも当時ゴハチブームの中にあって、近畿地区では東のロイヤルエンジン61号機並みのアイドルだった大窓ヒサシ付の竜華区の66号機と、スワローエンゼルC62-2を間近に見られたのは感激でした。 今思えば関係の無いヘッドマークなんか付けて並べるより、各機の全身を撮影させてほしかったものです。 この後EF58-150にお召し用の国旗を取り付けたり、ヘッドマークを何度も交換したり、機関区の方々のサービス精神はよく伝わってきたのですが・・・。
20系寝台車 1987/3/24 大阪駅
到着番線と時刻を考えると新大阪始発で九州方面行きの臨時寝台特急なのでしょうが、ホームの出発案内表示がないので団臨とか回送かもしれません・・・。
485系 特急 「にちりん」
美しき国鉄特急色のボンネット車。 しかもこの最後尾のクハはクハ181から改造された変り種ですね。 屋根上のヘッドライトが無く、車高も全く違います。
ED76/24系25形 寝台特急 「あさかぜ 1号」
赤い電機もゴールドラインの「あさかぜ」専用車も、関西人には普段馴染みのない車両なので結構感動した記憶があります。 ブルトレ自体、すべて過去帳入りしてしまいました。
415系 1987/3/25 筑前新宮駅付近?
この頃にはいわゆる「九州色」に塗り替えが始まっていましたが、まだオリジナルの国鉄色も多くラッシュ時には併結列車も。 「マイタウン電車」のヘッドマークも懐かしいです。
旧型客車各種 1987/3/25 原田駅構内?
10系は旧客とは言わないんでしたっけ? おそらく解体待ちで疎開中だったと思われる客車たち。 10系寝台車には一度乗ってみたかったな。 座席車ならあるんだけど・・・。
100系 新幹線 1987/3/25? 博多駅?
おそらく、フィルムの残りで何となく撮った100系。 このオリジナル塗装の16両フル編成が懐かしいです。 歴代新幹線の中で、ベストデザインだと思っています。
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